マレーシアに住んで日本を考える
日本に帰国して感じたのは、日本人の人の良さである。親切、誠実、他人をすぐに信じる、害意を感じなせない等々、等々である。重ねて言えば、意識の圧力感を出さない、眼力を使わない、おとなしい、曖昧、何を言いたいのかよくわからない等 だろうか。しかし私は、この日本人の持つ優しさや人の良さに改めて驚いた。大げさに言うなら、このような性質を持ち続けた民族が存在していることが驚きでもある。それは大いなる美徳だ。ただし、この感性や美徳が国際化の中で理解されず、むしろ狡猾な人々に良いように利用され、時には蹂躙される危険性が高いのではないかと少し不安になっている。
帰国後、部落の共同作業に参加したときのことである。手が空いた人々は、我先に次の作業の段取りや作業中の人々の手助けを行うのである。むしろ、じっと佇むことを恥と感じる空気と価値観があるのだ。私は、慣れ親しんだ日本人のこの行動を少しばかり不思議に眺めた。マレーシアでは決して見ることができない作業風景だった。このような我々の性質が優秀な物作りを可能とし、目標に向かって一致団結できるパワーを生み出す大元に違いないと思った。
アジアで、我々の美徳や価値観と際立ったコントラストをなすのがチャイニーズではないかと思う。彼らの容姿は一見日本人と見分けがつかないが、考え方はまったく違う。異民族そのものである。彼らは基本的に自分のことしか考えない。それは徹底していて、国家への帰属意識が薄く、連れ合いよりも自分自身や実家やマネーを優先する。
公共マナーよりも自分の都合を優先し、住んでいる土地もどこまで自分のものと考えているか察しがつかない。国家の危機にはいつでも逃げ出せる気持ちでいる。僕が頼んでいたチャイニーズの女性英語教師は、中国人女性はラブよりマネーを優先すると、少し言いにくそうに話した。
そのような考え方だから、自分にメリットのある日本人などにはものすごくサービスをする。人の良い日本人はそんなチャイニーズを良い人間と誤解して最終的に騙されたりする。中国系の不思議な(?)専属ガールフレンドも同様らしい、それは素晴らしいサービスだそうだ。日系企業の単身駐在員の任期中に、彼女らはそのサービス精神で、彼らからものすごい額を売上げる(吸い上げる)そうだ。
彼らに心を許してはならない。これは鉄則である。彼らが親しくしてくれるのはメリットがある証拠で、友人ではないのだ。彼らと真に信頼関係を築くには長い時間がかかる。
ある時、家賃が高い割には部屋の設備が悪く、オーナーの対応はひどく、契約内容はオーナー寄りということが判り、契約を強引に破棄して引っ越す交渉を始めた。概ね、日本人の契約内容はローカルのそれよりオーナー寄りだそうだ。人の良い日本人はそんな契約でもきちんと履行するし、一部を除いてあまり気にも留めない。裁判ではこちらの勝ち目は低いが、引っ越したいときに引っ越すことができるのがマレーシアのルールだという。私はこのローカルの一般的な裏ルールに則って交渉を開始したのだ。私には認められない条件だからである。
かなり厳しい交渉だった。最初、エージェントとオーナーはぐるだった。ただし、エージェントは日本人相手に旨みのある商売をしているので、日本人界に悪い評判が立つのは困るのは判っていた。私は暫く後、エージェントに 「お前はどちらの側に立っているのだ」 といった。彼は怒って自分の立場の中立性を述べたが、それからしゃべるのをやめた。
祖母は戦中満州にいた。彼女はよく言っていた。「支那人は自分に非があっても絶対に認めないで喋り続けるから、負けずに言い返さんとならん」。その通りだった。私は彼らと同じようにしゃべり、自分の主張を徹底的に述べ、粘った。
最終的に僕は引越しをすることができた。同じ金額の部屋だったが素晴らしく快適だった。勿論オーナーにも損は無かったのである。久しく空いていた部屋を高額で一年近く使ってくれた無知な日本人がいたからである。
チャイニーズとの交渉に慣れてくると、日本人相手より気分が楽な点がある。互いに言いたいことを明確に言い合い、妥協点を見出せれば、後に残らない。切り替えがきく。実際は多少引っかかっても次のビジネスのために割り切る。これは楽だ。
以上はチャイニーズ批判ではない。これは一般的な彼らのキャラクターだと思う。彼らの腹の裏の裏を考えないと痛い目をみたり嫌悪を抱いたりすることになり兼ねない。話は違うが、私は任期中に三度、マレーシアンチャイニーズに助けられた経験を持つ。
JICA は本当にきちんとサポートしてくれていた。生活全般、交通事故やセキュリティに関して JICA 本部や現地事務所や直接担当者の働きには感謝するばかりだった。
しかし、ことセキュリティに関しては、日本人の態度自体が無防備すぎるのが問題だと感じた。白人系、インド系、中東系等々、同じく目つきが厳しい。言ってしまえばガンを付けるといった風だ。つまり、バリアーである。しかし、臨戦体制ではない (かもしれないが…)。多くの日本人は無防備な表情、態度に映る。これでは狙われてしまう。セキュリティどころではない。このバリアーが大切なのだ。しかし、これは臨戦体制ではないので、いつでもスマイルを繰り出す余裕を併せ持っている。この姿勢が大切なのである。
眼力とジェントルさの重要・必要性は関係者も教えないが、簡単に言ってしまえば、舐められてはならないのだ。海外での常識は優しさに満ちた日本国内とは違う。
しかし、言うまでもないことだが、人間の基本的な喜びや優しさや暖かさや信頼はどこも普遍だ。
日本から時々若い女性が遊びに来ていた。入国審査では、言葉がわからないからニコニコしていたら大丈夫だったというのが一人二人ではなかった。何とも情けない話だ。こんな意味不明の態度は危ない。厳しく毅然としていなければならないのだ。どうしてこんな日本になったのか。
今頃、援助と国益の関係をきちんと考えようという話を聞く。日本の海外援助は日本シンパを作るのには役に立つが、それ以上のものがあるのかという意見も聞いた。
援助を受ける側も、日本のメリットを考えて受け取る。しかし、彼らは、信じがたいことだが、日本には何の他意も無いということに気がつく。常任理事国入りを希望しているためだと言う人もいるし、自嘲気味に、実は青年協力隊活動は日本の若者を育てている制度だという人もいる。ともあれ、援助を元に世界に影響を及ぼそうにも、我が国独自の国際戦略はどこにあるのか。政治の毅然とした側面が欲しい。それこそが今後、現場で実践する仲間の誇りと支えになるというのに。
(2003/11/20)