高村のじいちゃん
九州の僕の工房の下の畑は、隣部落の高村のじいちゃん、ばあちゃんが豆や野菜を植えている。去年の夏にその一部を借りて僕は蕎麦を作る気でいた。夏のある日、じいちゃんが心配して畑の件はどうなったか僕に聞くので、今、ある事情で今年は貸してもらうかどうかわからないと答えていた。僕はそのときJICAの試験を受けている最中だったのだ。
合格した後、じいちゃんに事情を説明すると、「そうですか、そりゃよかったですばい。マレーのどこに行くですか?」といいながら、あれこれ僕の知らない地名を出してくる。不思議に思って聞き返すと、「わしゃ南方に四年おったですもんナ」という。「マレーはいいとこです。若い時期には行ったほうが良かですタイ」、「暑さは夏の小国と大差なかです。心配なか」という。船で行くか飛行機で行くかと聞くので、飛行機と答えると、我々は船で四五日かけていった、東シナ海の台湾の先は大そう揺れた、「そうですか、飛行機なら大丈夫ですタイ」という。じいちゃんは、南方の前はシベリアに志願して五年いたという。「寒いよりは暑いほうが良いですばい。寒さはこたえますキ」「気をつけて行ってくだっせ、良いとこでスばい」と重ねていった。
トレンガヌの北方はたしか日本軍が初めてマレー半島に上陸したところだ。クアラルンプールからトレンガヌに行く途中の山岳地帯を眺めながら、僕は高村のじいちゃんの話を思い出していた。日本兵はよくここを行軍してきたなぁ。大変だったろうなぁ。なんだか申し訳ない気がしていた。「すいません。日本人はだれています」と、私は自分のことを呟いた。八十歳をとうに越した高村のじいちゃんの元気が半端じゃないのがよく分かった。
最後にじいちゃんは「平地はよかばってん、山は土人とサルがおりますき、注意なさらんと」と言ってくれた。少し可笑しかったがとても嬉しかった。
身勝手なもので、事情は違うが僕と同じ地に立っていた高村のじいちゃんに、そして大東亜を戦った証人の一人としてうんと長生きをしてもらいたいものだと思っていた。
(2001/1/13)