マレーの裏木戸
僕の育った当時の実家には日当たりのいい庭があり、ざくろや柿、枇杷が植えられ、その先から日豊本線と久大線の線路に至るまで田んぼがあり、見通しが良かった。
庭と田んぼの境には低い木の塀があり、扉が付けられていた。僕は、死んだ祖母だったか母だったか今となればはっきりしないのだが、その裏庭の先の木戸のそばで泣いているのをみた記憶がある。裸足だったような気もするが定かではない。祖母や母だけではなく、近所のおばさん達も時折外に逃げ出しては泣いていた記憶がある。高度成長期以前の我が故郷の女達は裏木戸の傍や屋外でよく泣いていたのだ。当人は深刻だったかもしれないが、平和だったような気もする。いや、のどかだったのだ。
昼飯は職場の近所のインド系の飯屋に行く。家具工業団地の行き止まりに隣接したヤシ林を切り取ってインド系一家が住まい兼食堂を建てて住んでいるのだ。団地内労働者を狙っての店だが、客は割と少なく、インド系、バングラ系、後は中国系に約一名の日系(私) だ。不思議とマレー系は少ない。僕が行くのは、近いこと、安いこと、インド系のほうが好みに会っているせいだが、はっきりいって汚い。
そこで僕は、毎日ほとんどかわり映えのしないカレーを食っている。カレーは一種類。野菜は二品。さらに、鶏肉、魚などの揚げ物が六〜七品あってそこから選ぶ。値段は四十五〜七十円だが、不思議に飽きない。
料理は汚い身なりの、マレー系が混じったような感じがするインド男と、中国系に見えるおばさんが作り、給仕もする。中国系がインド系の店の給仕をするのを見るのは田舎では珍しいので、ある日、そのおばさんにチャイニーズかマレーかと聞いてみると、「インネシア」だという。浅黒いが、日本人に見えなくもない。マレーに来て二十年だという。
僕の住んでいるアパートにも、たくさんのインドネシアから来たメイドさん達がいる。マレーで四年働くと故郷で家が建つという。だから四年働くと帰る。二十年もいるというインド飯屋のインドネシアのおばさんの事情は不明だ。
ある日、昼飯を済ました帰り際、おばさんがインド一家の乳飲み子を抱えてしゃがみこんでいるのを見た。店の前には駐車用の狭いスペースがあり、その脇にヒンズー教の粗末な祭壇がある。その脇にしゃがんで泣いているのだ。
アジアは何処でも変わらない。マレーのインド食堂には裏木戸はなかったが、インドネシアのおばさんは、以前の日本のおばさんたちと同じように外に出て涙を流していた。
車に乗り込んだ後、木立の間からおばさんと視線が合った。僕は少しだけ頷き、チアーアップとつぶやいて発進した。いつも優しいおばさんへ気持ちを込めながら、郷愁を感じながら。
(2001/6/23)