スーパーカブ 吠える
その日もいつものように黒いショルダーバック、アーミー色の防寒服、そして、世界のベストセラー、ホンダ スーパーカブで出勤した。目指すは神奈川県大和市南林間である。
僕は、当時流行り始めた、ヤマハのパッソル、ホンダラッタッタというライトな、現在のスクーターのさきがけとなった原付を乗り継ぎ、発進加速性能ではツーストロークのスクーター勢に劣るものの、最終的に耐久性、経済性、操縦安定性、実用性において抜きん出た、世界のベストセラーであるスーパーカブを選択し、家具屋職人時代の後半から現在の職業である、NHK 集金人の仕事に使用していたのだ。
NHK神奈川県藤沢営業所勤務。職位、集金担当。当時、友人達から「NHKの受信料を払っていないお前が何でなんだ」と、冷やかされたものだった。もちろん私は、きちんと採用試験を受けて合格し、研修を受け、集金業務を開始したのである。担当エリアは、神奈川の大和や南林間という所で、当時はまだ、高級米軍ハウスも残る落ち着いた住宅地だった。ただし、近くに米軍厚木飛行場があり、米軍機の夜間発着訓練などによる騒音で、難視聴という理由により受信料不払い運動が起こっていて、NHKにとっては問題地域だったのだ。そのせいで集金員の定着率が悪く、僕でも採用されたのかもしれない。そこを友人達は言うのだった。
僕の主な任務は、通常の集金の他に、不払いを続けている視聴者から一人残らず受信料を徴収すること、各担当地区に引越してきた新規加入者を残らず洗い出して、新契約に結びつける事であった。新米集金員にとっては驚くほど厳しい役割であり、指針であり、ノルマであった。しかし、収入は達成率に従ってかなりの高額が保証されていたのである。
僕の担当は、まだ若いのに不必要に太った男だった。その太くて脂肪の乗った指が異常に素早い動きで十桁電卓の上を飛び回り、僕の集金額をチェックする。まるでキーの上を踊るという表現が適当で、初めてそれを見たとき僕は、卓越した技能には違いないが、むしろ不気味さで思わず息を呑んだ。そこまでのタイピング上達の裏には、すさまじい計算時間の積み上げがあったわけで、多くの集金員が苦労した歴史があったのだろうなというような複雑な思いがあった。
そして、その日もその脂肪男は分厚いショートサイト用メガネの奥から、厳しい視線で僕を見据え、新規加入契約が少ないな、来月はもう少しがんばってくれたまえと言うのだった。
NHKの営業所の厳しさは、民間の生命保険会社の地方営業所に十分匹敵する、いやそれ以上かもしれない。番組の中の素敵なニュースキャスターからは決して想像できないシビアな金銭徴収の現場があった。壁にはスローガンが貼り付けられ、定期的なミーティングでは、様々な集金戦略の指導を受けるのである。そして、達成率によって様々な商品が営業所から届き、手取りの額は増すのだ。
様々な職歴を持つ、我々同期の新人 ―― おっさんが主だったが ―― は、ミーティングの後はきまって営業所の近くのコーヒー屋に入り、疲れた顔で達成の難しい獲得目標について、こぼし合うのだった。同期は四、五人いたのだが、僕が辞めるまでの間に、二人が抜けた。
僕の手元には先代の集金員から受け継いだ、分厚い未払いの請求書の束があった。何時行っても留守、あるいは居留守でけっしてドアが開いたことがない契約家庭のもの、また、在宅でも絶対に払おうとしない家庭のものである。いわば筋金入りの不払い家庭のもので、当初は割と簡単に考えていたが、その束は歴代の集金員達の集金不能の証であり、簡単にいくものではなかった。また、払ってくれている一般家庭にせよ、なかなかすんなりとは払ってくれなかったのだ。
未払いの続く一軒は、僕が集金員になってからも明らかに留守にしていたのだが、その日は綺麗に掃除され、窓際には新しいカーテンが下がり、鉢植えの植物までも置かれ、華やいで平和そうに映った。「居る!」僕は小躍りした。ただ、これだけ領収書を溜め込んだ実績がある家だ、払ってくれるのだろうかという不安も募る。しかし、弱気になるとなし崩し的に押さえこまれてしまう。ラグビーでスクラムトライを奪われるチームのようにだ。弱気を押さこみながら玄関口でコールした。二度、三度・・・、出てこない。聞こえていないのか。ノブを回した。開く。人はいる。明るくいった。「御免下さい」。このとき決してNHKの名前を出してはならないのだ。その瞬間貝になったように息を殺して潜んでしまうケースがある。僕らはそう、教えられていた。玄関正面の壁をみると、教育勅語が収められた額が掛かっている。今時、面白い家だなと思ううち、人が出てきた。かなり柄が悪そうなお兄さんだ。彼は、「何だ」と言った。僕は、「はい、NHKですが、集金に参りました」と努めて明るく告げた。一瞬、不思議な表情を見せたが、みるみる形相が変わり、「なんだとぅ」と、それは恐ろしい口調で彼は言った。この場では、決して聞いてはいけない言葉を僕の口から聞いてしまったという感じだった。そして、なんでお前のようなヤツが今日に限って来なければいけないのだというようなことを言った。その日は出所祝いをしている最中である事、そのような目出度い日に、どうして集金屋のお前が来るのだというようなことだった。この騒ぎに奥の方から声が掛かった。彼はしばらく引っ込んだ後、僕にお前は運がいいやつだとだけ告げた。
その道の奥方は美人が多いという風評を聞くが、例に漏れなかった。かわいいタイプの美人で、エプロンをかけた、見るからに奥さんらしい人が出てきて、にこにこしながら「ご苦労様」といい、すっぱり全額払ってくれたのだ。よく見ると、教育勅語の下の額には、「稲川会之証」とあった。
その日のスーパーカブのエンジンは極めて軽やか、心も晴れやかだった。不滅の未払い請求書の一角が崩れたのだ。
こんな所にという場所に粗末なバラック作りの小屋があった。当時僕のエリアには、そんな小屋が二三軒あったように記憶する。菜園の脇の小道をぬけると、粗末なその小屋はあり、見るなり僕は落胆した。払ってくれそうもないな。この家も、という感じだったからだ。
そこにはおばあさんが一人で住んでいた。そして、はっとするように丁寧に僕をねぎらってくれ、お茶を入れてくれようとする。帰り際には、ご苦労様、気をつけてといってくれる。我が担当エリアは、理屈をコネ、払おうとしない方々が多い、それは、NHKのシステムや彼らの問題であるから僕はここではどうこうは言わないし、それまでは払っていなかった僕だったから、批判できる立場ではまったくない。しかし、荒んでいきそうな集金作業の中で、素朴なおばあさんの親切が僕を打ちのめすのだった。
今日のスーパーカブのエンジンは唸った。無性に申し訳なかったからだ。
集金に対する営業所の指導は結構厳しい。夜の商売の方々は帰宅が遅いので、場合によっては夜の十時、十一時頃、帰宅を見計らって攻めること。必ず捕まる時間がある。というように、信じられないくらい厳しい指導があるのだ。
その日のミーティングでも様々な方法論と指導があった。集会後、相当実績を上げているという先輩のお宅に新人一同で伺った。聞けば親子代々、NHK集金員だという。僕は、早く黒い金属製のケースを買ってバイクの後ろに付けるべきだというアドバイスを受けた。「雨でもOK。鍵もかかるし、少し高いけどすぐに元は取るわよ」、そして、「最初は大変だけど、ルートを覚え、なれれば大丈夫よ。頑張れば、この仕事は息子のように三十代で家が建つわよ」と、先代の奥さんから励まされた
僕は当時燃えていた。是が非でも自分の家具工房を持つ、という目標である。三十代で家を建て、借金に追われながら集金員をやるなんて夢のない生き方なんて、絶対にいやだと思っていた。「お前ら、三十台で家を建ててろ」。僕は早々に引き上げた。そんな為にこの仕事に就いているのではない。当時は真剣にそれだけを考えていた。
その日のスーパーカブは、全開で吼えた。絶対に家具工房を開くのだ。
(2002)