はじめに
ワタクシはとんこつラーメンが大好物です。先日、地元のテレビジョンで熊本ラーメンのルーツを探す内容の番組が放映されていました。
元祖熊本ラーメンを掲げるラーメン屋は熊本市内に二店舗ありますが、以前、熊本にはとんこつラーメンは存在しませんでした。あるとき熊本県玉名市のラーメン店「天琴」にある三人組が入り、とんこつ味のラーメンを食べ、あまりのおいしさに感動し、後日、熊本市内でとんこつラーメン店を開業するわけです。「天琴」の親父は玉名駅前の屋台「三九」で修業、とんこつラーメンを学びます。また、玉名駅前店は久留米にあった「三九」の支店で、現在は佐賀でラーメン店を経営している四ヶ所さんのお店でした。四ヶ所さんは杉野さんという先代のオーナーから「三九」を譲られた方で、元々は杉野さんの時代の「三九」のお客さんだったそうです。とんこつラーメンは四ヶ所さんによって初めて熊本に持ち込まれたわけです。では、杉野さんはというと、以前は普通の屋台をやっていたそうですが、当時疎開で来ていた、横浜でラーメンの作り方を修業したお爺さんに口述で習い、昭和二十三年ごろラーメン屋台を始めたそうです。しかし、横浜のラーメンはダシに豚の骨も使いますが、白くはなく、こってり味でもありません。実は杉野さんがダシを仕込む途中、所用で外出し、その間の火加減を母親に任せたそうですが、帰りが遅れ、任された母親は絶やすことなく薪をくべ続け、杉野さんが帰宅したときにはスープはどろりと白く濁っていたそうです。スープを作り直す時間もなく、試しにそのスープでラーメンを作ってみますとこれがなかなか美味で、お客の評判も上々だったというわけです。その後、お店は繁盛していきましたが、杉野さんは「三九」を四ヶ所さんに譲り、彼は当時発展を続けていた北九州の小倉に移ってラーメン店「来々軒」を始めたそうです。
今では九州ラーメンというと即座に白いスープの「トンコツ」であるというように盤石の図式、定理公理化されていますが、ルーツは以外なところにあったのです。そして、杉野さんのラーメンがそこまで有名になったのは、彼の人柄といいますか、方針、姿勢があったのです。当時、杉野さんはラーメンの作り方を教えてくれと随分頼まれたそうでが、心情的に断り切れなかったこと。次にこういうものは教えなくても必ず洩れていくものである、そうであるなら自分から教えよう、ただし、独立開業にあてっては自分の店の近くは避けてくれという条件を付けたそうです。その結果、現在では鹿児島を除くほぼ九州一円のとんこつラーメンのほとんどは、そのルーツを杉野さんのラーメンにもつそうです。
二代目となった現在でも「来々軒」は小倉で営業を続けており、取材映像では、その店は特に目立つ風でもないそこらの普通のラーメン屋であり、杉野さんは気負うでも、自慢するでもなく、その顛末を淡々と語っていたのが印象的だったのです。